ドリフターズって元々はバンドなんだよね?気になるそれぞれの担当楽器は?

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志村けんがドリフターズのメンバーだったのは有名な話だが、ドリフターズのメンバーは元々バンドマンだということを知らない人もいるかもしれない。

8時だよ全員集合!という番組を観たことがあるだろうか?

この番組は1970年代に一世風靡した番組だが、番組内のコントの合間にメンバーがたまに楽器を弾いたり、歌を歌う場面があった。

面白おかしくやりながらキメるところはちゃんとキメているのがかっこよかった。

そこで今回はドリフターズのバンドエピソードや担当の楽器などについて検証してみた。

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ドリフターズは有名なバンドだったのか?

ドリフターズのメンバーをご存知だろうか?

現在は加藤茶、高木ブー、仲本工事の3人となってしまったが、志村けん、いかりや長介がいた当時の5人メンバーの頃がドリフターズの全盛期だろう。

志村けん加入以前は荒井注が居たのは有名である(なんだバカヤロー)。

バンドと言えばメンバーの入れ替わりもあるがドリフターズも例外ではない。初期には小野ヤスシや坂本九がメンバーだった時代もあるのには驚いた。

そもそも、いかりや長介がメンバーに加わった頃には現メンバーはおらず、初期メンバーが脱退後に現メンバーが加入したのである。

ということは、現メンバーが加入する以前にドリフターズは存在していたということになる。

いかりや長介率いるドリフターズの演奏スタイルは、カバー曲や替え歌が主体だったが、独自のスタイルが次第に人気となっていった。

そしてビートルズの日本初公演の前座を務めるまでになるのである。

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ドリフターズメンバーの担当楽器は?

出典:note

いかりや長介 ベース

加藤茶 ドラム

志村けん キーボード ギター

高木ブー ギター

仲本工事 ギター ボーカル

また、志村けんが津軽三味線を演奏しているのは有名だろう。

出典:YouTube

出典:YouTube

若かりし頃と年期が入った頃の志村けん、ただのお笑い芸人ではなく、ちゃんとした演奏家出身なのである。

コミックバンドというよりは、もともとは真面目なバンドからスタートしていったドリフターズである。楽器を持てば様になるのも理解できるところだ。

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ドリフターズは歌も歌える?

ドリフ大爆笑というコント番組のオープニングでは、ドリフターズのメンバー5人がスーツを着て、並んで歌を唄うところからスタートする。

このオープニングは1960年代に流行ったムード歌謡のコーラスグループのような雰囲気もあり、お笑いのオープニングだがなかなか渋いのである。

その他にも

ドリフのほんとにほんとにご苦労さん

誰かさんと誰かさん

ドリフのツンツン節

など替え歌を多く発表していき、

「新生ドリフ」以降は歌謡グループとしての活動も顕著となり、コミックソングのほか、民謡・軍歌等、日本で歌い継がれてきた曲の替え歌を多くレコードに吹き込む

引用元:Wikipedia

ミリオンセラーも生まれていくのである。

1970年に「第12回日本レコード大賞大衆賞」を受賞し、同年「ドリフのズンドコ節」で「第1回日本歌謡大賞放送音楽賞」をそれぞれ受賞している。「ズンドコ節」は、1969年11月1日発売、オリコン最高位2位、売り上げ枚数115万枚以上という、大ヒットを記録。他にも、数十万枚のシングルヒット、または10位以内にランクインした曲は4-5はある。その1970年には、他の民放などでもいくつかの賞を受賞をする。

引用元:Wikipedia

コントで人気があったとは言え、歌でもここまでヒットしていたとは驚きだ。やはり実力があるということだろう。

その後紅白歌合戦にも出場を果たしている。

まとめ

1985年に「8時だよ全員集合」の放送が終了し、

メンバーはそれぞれの分野で活動をすることになっていったが、どの分野で活動していても「ドリフ大爆笑」のコントのオープニングでは5人並んで歌を歌っていたのを思い出す。

結成後、グループの活動が音楽からコントへと移り変わっていき、先輩で憧れのクレージーキャッツを追い抜くほどの人気になっていったドリフターズ。

それまでは真面目なバンドマンだったのだ。

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